戦争話は夏場だけのものじゃない | ちえ☆ライブラリー

戦争話は夏場だけのものじゃない

今年も夏が終わる。


毎年、「夏場だけ」日本の戦争の特集をテレビでやっている気がする。


今年も父は、終戦の日に天皇陛下が記念碑に黙祷をするのを

じっと動かずに、テレビ画面を見つめていた。


父は、毎年無言で天皇の黙祷を見ている。

しかし、内心はそれを見るたびにいつも思っているだろう。


「親父は、天皇陛下万歳と叫びつつ戦火に散っていった」と。


父方の祖父は、終戦3年前に兵隊に取られ、

戦地ニューギニアで死んだ。


わずか37歳の若さで・・・

父はその時5歳。

父は、3歳のときに祖父と別れたままで、

父親の思い出はほとんどないという。


戦前裕福だった父の家は、一家の大黒柱を亡くしたことと、

戦後の極度のインフレにより、あっという間の没落。

以来、父の歩むはずだったその後の人生は、180度変わることになる。


しかも、戦地から還ってきたのは祖父の遺骨ではなかった。

白木の箱の中にあったものは、

祖父が愛用していた、煙草入れひとつだけだった。


幼い父は、あまりに軽すぎる白木の箱を抱えて、

「お父さんが戦争で死んじゃった」と

大声で泣きながら家まで歩いたという。


毎年、終戦の日の天皇の黙祷をテレビでじっとみる父の背中は、

戦争と、戦争を引き起こした権力の魔性への無言の抵抗に思えてならない。


昭和64年、昭和天皇が崩御したとき、父が初めて胸中を吐露した。

「俺の親父は、天皇陛下万歳といいながら死んでいったんだ」


その言葉を聞いたとき、物静かな語り口ながらも

父が常に戦争の悲劇を背負いながら生きてきた事実と、

父にとって戦争の終焉は一生ないんだという思いを目の当たりにして

私は背筋が凍りつく思いをした。


父は小学生のとき、靖国神社に国が旅費を出して行かせてくれた、

とも私に話した。

しかし、「行ってもむなしいだけだった」、と。



日本の全国に、父と同じ思いをしたひとが沢山いる。

家族をとられ、恋人をとられ、

その後の人生をむりやり書き換えられた戦争の犠牲者が。

決して忘れてはならない。


戦争は、悲劇を生むだけだ。戦争に行った人だけでなく、

戦争に行かなかった人まで不幸に叩き落す、人間の愚考。

絶対に許せない。


夏だけでなく、いつでも忘れてはならない事実だと思う。

絶対、他人事ではない。